ドイツのユニークな“まちづくり”
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住民投票できめる町づくり2

ウルムのノイエ通り

住民投票で反対派が勝利

改行マークまさかと思っていたことが本当になった。

改行マークウルム市では、 都心を横切る幹線道路をトンネル化してその上を歩行者天国に開放しよう、 そして同時に地下大駐車場をつくって都心の活性化をはかろう、 という計画が市役所で決議され工事決定が発表された。 それに対し「トンネル反対」「地下駐車場反対」で市民がわきたち、 住民投票となり、 反対派が勝利をおさめた。 こうして工事はストップし、 計画決定は差し戻された。

改行マークウルム市では、 つい先年ミュンスター広場の大聖堂の前に計画された新しいシティーハウス建設の是非で市民投票があり、 この場合はわずかの差で反対派がやぶれシティーハウスが建てられた。 そして今回、 ついに反対派は「市議会の決議は民意でない」とはねつけることに成功した。


トンネルと地下駐車場計画の経緯

ノイエ通りが出来るまで

改行マークウルムのノイエ通りは都心を通っている。 大聖堂のあるミュンスター広場をワンブロックへだてて東西にとおり、 道路の中央に広がりをもつ片道2車線、 往復4車線、 部分的には5車線のひろい幹線道路である。

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1. 当時のノイエ通り道路計画図
改行マークウルムの都心は第2次世界大戦の戦災で8割がたの破損を受けた。 そのため戦災復興計画の一環として、 まったく新しい路線として、 中世の古い町並みをとりこわし、 大規模な区画整理と、 数ブロックを消滅してしまう実におおがかりな道路計画が可能であった(図1)。

改行マークこの計画道路には、 新しい道路ということで「新しい=ノイエ、 通り」と名づけられた。

改行マークノイエ通り建設には「都市計画は時代の新しい要求に適合すべき」「町の経済発展のため」「通過交通ではなく、 都心に車をよびよせるため」などという説明がつけられた。

改行マーク1948年、 ノイエ通り新設事業が市議会で決議されたときは「ウルムにとって大聖堂の建設以来の大工事」といわれ、 「すばらしい計画」「無条件に賛成」と拍手をもって市民に迎え入れたものである。

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2. 戦後、 歴史的古い的並をこわしてアウトバーンのような広いノイエ通りが都心につくられた。
改行マークノイエ通りの工事は1953年から4段階で行なわれ、 67年には骨格が、 そして現状道路の完成は1977年である(図2)。


その後のノイエ通り

改行マークしかしこの道路がやがて市民の重荷になる。

改行マークその後ノイエ通りの交通量は急激に増え、 また世間一般の道路への価値観が変わった。

改行マークノイエ通りの1日あたりの交通量は、 当時考えられなかった量で増加している。 1958年の9,200台が、 1975年には29,500台(現在も同じ)とほぼ3倍になっている。 市のクルマの登録台数でみれば、 1950年の3,671台に対して1993年には61,781台と実に16倍に増加している。

改行マークノイエ通りの周辺住民、 そして都心の関係者は、 道路からの騒音、 空気汚染公害で悩ませられることになる。

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3. 大聖堂にちかい都心を2分する広いノイエ通り
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4. 大聖堂広場からの歩行者道路はノイエ通りで止まっている。
改行マークそして価値観の変化は、 これまでの経済重視の町づくりから、 文化伝統が重視されるようになり、 都市の景観や生活環境がいわれるようになった。 そして、 都心の中心部、 ミュンスター広場と市役所を、 このノイエ通りが2つにおおきく分離していることが問題視されるようになってきた(図3、 図4)。


縮小計画からトンネル化に

改行マーク70年代にはいって市役所も道路幅の縮小で、 ノイエ通りが分けている大聖堂と市庁舎をつなげ、 都心をふたたび融合することを考えるようになった。

改行マークウルム市は1975年、 ノイエ通りの完成する以前すでに、 「ノイエ通りのミュンスター広場に隣接する広い部分を、 都市計画手法による交通量の減少、 あるいは道路面の地下化で狭くし、 ふたたび景観的にも利用上にも可能なかぎり1つに結びつけること」を市議会で決議している。

改行マークそして1977年、 ウルム市は上記の決議を実現できる計画案を設計競技で案を募集した。 そして提案された38作品の33までが、 ノイエ通りのトンネル化を解決案としてとりあげている。 しかしこのコンペの結果は、 費用などの事情ですえ置かれている。

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5. ノイエ通りのトンネル化を計画決定したBプラン
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6. 市民投票で反対されたトンネル化事業
改行マークその10年後、 ウルム市は都市計画コンサルタントに市内の交通調査を依頼する。 その結果として報告されたのが、 ノイエ通りの通過交通をトンネルで通し、 地下で都心の駐車場を整備する案である。 市はそれをもとに1986年、 ミュンスター広場付近のノイエ通り地下化と地下駐車場整備についての地区詳細計画、 いはゆるBプランをつくる(図5)。

改行マーク市がそのBプランをもとにトンネルと地下駐車場建設工事の決議をしたのが1990年6月である。 (図6)


住民投票の経緯

反対派の蜂起

改行マークさあ、 これがたいへんな騒ぎになる。

改行マークこのトンネル工事の議会決議の直後、 市民のなかで反対運動がもちあがり、 市民投票で市議会の決議をさしもどすキャンペーンがくりひろげられた。

改行マーク反対の理由は「時代にそくした交通計画を要求する、 トンネルと地下駐車場は時代遅れ」「総合的な公共輸送機関網の促進を」「公共輸送機関が早く、 安く、 楽ならクルマから乗り換える」というものである。

改行マーク市民投票にこぎつけるには、 反対派が必要数のサインを集めて市に提出することが前提である。 こうして反対派は目標の第1段階、 ノイエ通りのトンネル化を市民投票で決定することを勝ち取った。

改行マークそして1990年12月におこなわれた市民投票では投票者の81.5%が反対。

改行マーク投票率は51.8%と市民の関心は高く、 反対票数は31,484票で、 市の議決をくつがえすのに必要な22,411票をはるかにオーバー。 こうして反対派の勝利となり、 市が予定していたトンネル工事をストップすることに成功する。

改行マークこの反対派の勝利は、 すこし前まで誰も予想できなかったことであり、 また可能とも考えられなかったことである、 と当日の新聞は報道している。


市民投票の制度

改行マーク市民投票は州法できめられ、 ウルム市の場合はバーデン・ビュルテンブルク州法である。 それによると住民投票が行なわれるのは次の場合である。

改行マーク市役所の議決事項を、 市民投票でくつがえすには、 基本的には投票数で過半数を獲得すればいいが、 バーデン・ビュルテンブルク州ではさらに、 全市有権者数の30%以上の反対票という一線が付け加えられている。 これは投票率が低い場合、 市民全体の意見が反映しない場合がある、 という懸念にもとづいている。 これがドナウ河の向かい側のノイ・ウルムでは、 州が違ってバイエルン州なので、 (ノイ・ウルムとウルムは隣り合わせで1つの都市をつくっている)この30%以上の枠がなく、 ただ単に市民投票で過半数あればいい。

改行マークさてここでウルムの2つの市民投票を振り返ってみると、 大聖堂前においてのシティーハウス論争の場合は、 市民投票で反対票が投票者の過半数をあつめたが、 絶対有権者数の30パーセント以上という条件に満たず、 シティーハウスの建設が実現された。

改行マーク一方、 ノイエ通りのトンネル化の場合は、 反対票が1990年の投票で80パーセント以上、 必要な絶対有権者数の割合いをはるかに超えて、 議会決議をくつがえすことに成功した。

改行マークこれまでウルムの市民投票は「シティーハウス建設」と「ノイエ通りトンネル化」の2つとも、 「市民投票の行なわれる場合」方法(2)、 すなわち議決されたことにたいして市民が物言いをつける方法、 で行なわれている。

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7. 市民投票後につくられたウルム市道路計画、
改行マークまたウルム市では、市民投票でくつがえされた「ノイエ通り」の整備案について、 今度は始めから方法の(1)、 すなわち市議会で市民投票をすると決めておいて、 市民投票で計画決定する方針、 ということである(図7)。

改行マーク住民参加どころではなく、 まさに住民主導の町づくりである。


どう評価すべきか

ドイツでマレな住民投票

改行マークノイエ通りトンネル化工事の市民投票で反対派が勝利した翌日、 「誰も予想できず、 また可能とも考えられなかった」と新聞で報道されているように、 ドイツで市民投票が行なわれること、 そしてさらに市民反対派が勝って、 議会決議を差しもどすことはきわめてマレである。

改行マーク都市計画関連で市民投票が行なわれたケースについてすこし調べてみたら、 1つだけでてきた。 1994年ビースバーデン市で「ヘッセン州最初の都市計画テーマでの市民投票」があり、 都心のデルンシェス・ゲレンデの空き地に設計競技で選んだ建物を建てる(市)、 建てない(市民)、 で争い、 市民側の勝利があった(Der Architekt 2/95)。


市民パワーと専門家

改行マークウルムもビースバーデンもともに伝統ある古い町並みのある都市である。 こういった町での計画や建物は、 保守的で穏当なものが市民に受け入れられやすい。 これが2つの都市の背景である。

改行マークこれらの市民投票で、 議会に対して市民(市民パワー)がいかに強いか、 を示した。 市民はここで代表制民主主義に疑問を投げかけている。 そして都市計画の案を設計競技で公募することに疑問をなげかけ、 審査員の選択眼に疑問をなげかけている。 専門家といえどもアテにならない、 といっている。

改行マーク問題は、 都市計画は市民投票で決めるべきものかどうか、 市民投票できめることが出来るものか、 ということである。

改行マークここで市民という言葉をあえて、 シロウトという言葉におきかえると、 シロウトがあつまって都市計画を投票できめることが出来るか、 ということであろう。


専門家と素人

改行マーク専門家よしっかりせよ、 といいたい。 しかしここで考えられるのは、 最近、 世間一般のことであるが、 専門家の権威が地の落ちたことである。 ノイエ通りにしても、 当時、 将来の交通量を計算し広い道幅を計画したのは専門家である。 そしてそれが広すぎるからトンネル化しようというのも専門家である。

改行マーク反面、 住民参加という言葉で市民が強くなった。 市民は議決案をくつがえすまでの力を持っている。 しかし、 しかしである、 ノイエ通りの場合、 市民がくつがえした議決案は、 2年前に決定されたBプランの実現事業である。 このBプランは住民参加を重ねてつくるもので、 説明会があり公聴会をかさね、 議決前にはプランは4週間展示され、 意見や異議の申し立てを受け付ける期間があって、 実施案であるBプランがつくられる。 これは市民の承知のもとに作ったものである。

改行マークそのプランが、 いざ実施されるとなると、 急に反対を叫ぶとは良識がないではないか。 ドイツでの、 都市計画の住民参加を見なおす時点にきている。

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(C) by 春日井道彦
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