ライン河岸プロムナード道路地下化で河辺を取り戻したデュッセルドルフ |
図1 すごい人気のライン河岸プロムナード |
ある会議で会ったデュッセルドルフの建築家が言っていた(図1)。
デュッセルドルフは人口57.5万人で、 ノルトライン・ウェストファーレンの州都。 ここはルール地方がドイツ経済の中心地であったことからわが国の商社が集まり日本の駐在員がドイツで最も多い都市である。
図2 デュッセルドルフを描いた1640年代の銅版画 |
領主のお城(中央の大きな建物)がラインに接して建てられている。 河辺の城壁はたぶん堤防を兼ねたもので大水の際には河に面した入り口を閉めるのであろう。 この後、 産業革命でルール地方がドイツ産業の中心になった時、 ここは内港を持つ大都市としてケルンやドゥイスブルクとともにラインを仲介して発展していった。 そのためデュッセルドルフの都心もライン河に近く、 このお城の後ろに広がっている。
図3 道路に占拠されたライン河岸の様子 |
それが近年になってすこしずつ変化が起きる。 港湾の一部ベルガー内港を埋め立て、 州の議会堂がライン河沿いに建設されたのは1988年のことである。 そして州都庁舎建設の一連の事業に関連して、 その少し前には州都のシンボルとして234mのライン塔がほぼ隣接して建設されている。 この州議会堂の建設はそれまで忘れられていたライン河と都心との関連のきっかけをつけたという意味で重要である。
それからはライン河が都心に急速に近づいてくる。
州議会場がデュッセルドルフのライン河岸に決まったとき、 移転の条件として「現状の道路によって切断された離れ島状態の改良、 都心との結びつき」がだされていた。 事実、 州議会場の前は高速道路への取り付け道路ラインクニー橋が高架で横切り、 それと交差してラインにそっては国道1号線が通り敷地一帯は周辺から完全に遮断されていた。
国道を地下に埋め、 その上を歩行者の散策路にしようという構想はこのような背景があり、 それを強力に推進したのは市の道路技術建設局員のワーザー氏である。 こういったプロジェクトが動いていくのには必ず誰かが精力的に働いて動いていくものであるが、 市長でも局長でもない市の1職員が中心人物であるのは興味深い。
ラインの河辺を再び人が散策できるように、 というまさに100年来の決議がなされたのは1987年である。 都心につながる2つの橋、 オーバーカッセラー橋とラインクニー橋間の国道は1日あたり6万台の車が通っていた、 これを地下に通す、 すなわちほぼ2kmの長さをラインに沿ってトンネルにするのである。
図4 ライン河岸プロムナードのデザイン設計コンペ一等案 |
こうしてN. フリッチー設計事務所が1995年、 トンネルの上に新しくできるラインプロムナードの設計に着手する。 プロムナード全体に並木道に作り、 そこに700本のポプラを2列に並べている。 歩道には波状の着色コンクリート板を敷く。
この「デュッセルドルフの波」とよばれるプロムナードの敷石は、 コンクリートの「白い平板」と「明るい青みかかった灰色のホリのあるもの」それに「同色で波型のホリのない平板」の3つのタイプで組み合わされている。 これは河岸プロメナードのために考案されたもので、 多数の組み合わせが可能である。
ここでは余計なものは極力省かれ、 例えばデザインされたストリートファニチャーなどは見られない。
歩道の所々にベンチが置かれ、 敷石の歩道をはさんだ中央部分は砂利敷きである。 デザインはきわめて簡素ですべてが控えめである。
ライン河岸プロムナード事業ですばらしいのは、 あらゆる状況を設計構想の要素として取り上げ全体計画の中でデザインしていることである。 これは公園とか土木、 電気などの事業を分割しないで一手でデザインが行なわれているからである。
図5 ブルク広場 |
図6 換気塔 |
図7 世界一長いカウンターのあるバー |
その向かい側には同じ長さでテントの支柱が立ちベンチが並べられる。 ここは浸水レベルのため、 設備はすべて移動可能としている。 また路面はアスファルトである。
図8 ブール球技場 |
図9 潜水艦バー |
浸水レベルにあるこのバーは大水になると水の下になり、 水中が見られるように丸い窓が付けられている。 バーの入り口は堤防の内側である。
図10 陸橋の下のアポロ劇場 |
さて、 フランクフルトにもマイン河岸のりっぱなプロムナードがあるが、 雰囲気がかなり違う。 フランクフルトのものは自然公園でジョッキング、 スポーツウェアの雰囲気である。 デュッセルドルフのライン河岸プロムナードはスーツであり、 はなはだ都市的な雰囲気である。
私がここを訪れたときは秋の薄ら寒い、 風の強い雨交じり、 まさに屋外を散歩するのには最悪の日であった。 それがライン河岸プロムナードはかなりの人出であった。 人々は強い風を受けながら河辺を散歩している。 しばらく河辺の風にあたりにここに来る。 ここでは人は人の中に居る、 人を見てまた見られることを意識する。 ここは都市の空間である。
こういった空間を私はこれまで2度見たことがある。 1度はイタリヤの小都市で夏の夜、 町の中の1本の広い道路が人でいっぱいになり皆が一定の方向に歩く。 そして反対側から来る人の中から知人を見つけて挨拶を交わす。 ほぼ1kmの長さ、 これがなかなかいい。
もうひとつは最近出来たベルリンの団地でキルシュ シュタイク・フェルト。 この河辺をゆっくり散歩している人をかなり見かけた。 この河辺も見えないようにデザインされたものである。 自分もこの団地に住んでいたら毎日一回ここを散歩するだろう、 と思った。
図11 1998年度の都市計画賞を受賞したライン河岸プロジェクト |
このプロジェクトは1998年度の都市計画賞の受賞作品である。